Scrum Inc. 認定資格スクラムマスター・プロダクトオーナー研修開催のお知らせ(2025/03/05〜07)
2025.01.17
2025.01.16
トレーニングの講師やチームのトレーナーをやっていると、スキルやノウハウの共有について、よく質問を受けます。
弊社のスクラムマスター研修では、スウォーミング *1 というスクラムパターン *2 についてお伝えしているのですが、少なくない方が「頭ではわかるけど、スキルやノウハウの共有はそう簡単にできるものではなく、故にスウォーミングも容易ではない」と考えておられるようです。
このテーマも一朝一夕に解決できるものではないのですが、皆様のモヤモヤを少しでも晴らす手伝いができればと思い、少し書いてみたいと思います。
優先順位の高い仕事にチームメンバーが群がって、集中して片付けていく仕事の進め方。
*2 スクラムパターン
世界中のスクラムの実践者によりまとめられた、特定の場面ごとに適用可能な「こうやればうまくいく」というやり方やノウハウ、またはそれらをまとめたもの。
よくあるスキル・ノウハウ共有の失敗例を一つ挙げてみます。
ある会社では、マネージャからチームにこんな指示が出ていました。
小林くんは、データ分析に関しての高度なスキルを持っており、現状、他のメンバーが手伝ったり、代わりに行うことができない。
今後、チームが円滑に仕事を進めていくためにも、通常の業務はしっかり進めつつ、お互いにノウハウを共有し、チーム全員のスキルの平準化を行うこと。
どこの会社にもありそうな指示ですが、この指示に違和感を感じませんか?
この指示にある違和感を挙げてみると、以下のようなものがあるのではないかと思います。
こうした違和感を感じるのは、皆さんがそれに対して直感的に問題があると感じ取ったからに他なりませんし、その感覚は正しいです。
これらの違和感の正体と解決策について、一つずつ考えていきましょう。
次に、「本当に小林さんの仕事を、他のメンバーが手伝ったり、代わりに行うことができないの?」についてです。
他人の仕事に興味を持っていないと気づきにくいのですが、専門家がやっている仕事が、全て専門的な仕事とは限らないです。
例えば、小林さんがやっているデータ分析、いわゆるデータサイエンティストについて考えてみます。
私が以前、データサイエンティストの方とお話しして聞いた限りでは、データサイエンティストの人は以下のような仕事をしているそうです。
この例では、データサイエンティストの仕事を細かい作業(=タスク)に分解しています。
タスクに分解すると、クリティカルパスが見えてきます。
実際に、データサイエンティストとしての専門性が必要なのは、「分析用のコードの作成」「データの分析」です。
これらについては、小林さんも自分が持つ特筆できるスキルとして考えているでしょう。
一方、それ以外の仕事は、小林さんにとっては、他の人でもできる、自身としては煩わしい作業と考えているかもしれません。
もしあなたが、他の人の仕事を手伝ってあげるのならば、まずはこのような専門的でなく、専門家にとって煩わしいものから手伝うと良いです。
仕事を渡す専門家の目には、あなたは煩わしいことを助けてくれる素晴らしい人に映りますし、何より自分の専門性が必要な仕事に集中でき、スキルの希釈の心配がないからです。
続いて、「なぜ、スキルアップは通常の業務と別腹なの?」について。
弊社のプロダクトオーナー研修でもお話ししていますが、ビジネス価値には、顧客価値(市場価値)の他にもいくつかの価値の源があり、能力構築(それを行うことによって、チームが短い時間で高い価値のものを生み出せるようになること)もその一つの源になります。
チームにとって、あるスキル・ノウハウが仕事を完成させるのに必要であるならば、そのスキルを持つ人をチームに入れるか、チームがそれをできるようになるよう、学ぶ必要があります。
そのような「業務上必要な学び」を業務外でしなさい、というのは、実に虫の良い話です。
こういった「業務上必要な学び」は、是非とも他の仕事同様、プロダクトバックログアイテムとしてプロダクトバックログに追加し、プロダクトオーナーに優先順位付けをし、実施の判断をしてもらって下さい。
業務上それが必要ならば、プロダクトオーナーはそのバックログアイテムを選ばざるを得なくなります。
最後に、「本当に全員が同じことをやれるようになる必要はあるの?」です。
スクラムのインスピレーションの元の1つであるトヨタ生産方式では、生産ラインの効率を上げるためには、ライン上で働く作業員がライン内の様々な工程に対応できる「多能工」になる必要があると説いています。
一方、ソフトウェア開発やデータ分析など、習得が容易でない高度な知識やスキルが必要とされる仕事においては、チームメンバーの全員が同じ様なスキルを獲得するまでに、非常に大きい労力を必要とします。
ある意味当然なことなのですが、スキル・ノウハウの獲得のコストは、それによってもたらされる効果と比較して十分に小さくなくてはなりません。
つまり、
スキル・ノウハウ向上によりもたらされる効果 > スキル・ノウハウを獲得するコスト
である必要があります。
では、現実的に、チームの何人が同じことができるようになれば、仕事の効率が上がるのでしょうか?
一つシミュレーションをしてみましょう。
ある専門性の高い作業が、平均で8時間に1回発生するとします。
そして、その作業を行うには、平均で4時間かかるとします。
この専門性が高い作業をできる人(=専門家)が、現時点ではチームに1人しかいないと仮定しましょう。
待ち行列理論を利用して計算すると、この様な状況下では、その作業が【着手されるまで】に、4時間を要します。(M/M/1、λ=1/8、μ=1/4)
作業が完了するまでの時間でなく、作業に着手するまでに待たされる時間であることに注意してください。(これは、作業が常に決まった一定の間隔ごとに発生するわけではないからです。
つまり、新たに発生した作業は、専門家がその前に発生した作業を完了させるまで平均4時間待たされ、作業時間を含め完成まで8時間を要するわけです。
では、この状況下で、専門家が2名になるとどうなるでしょうか?
この場合、その作業が着手されるまでに要する時間は15分36秒になります。
実に93.5%も短縮されるのです。(M/M/2、λ=1/8、μ=1/4)
さらに、専門家が3名になると、その作業が着手されるまでに要する時間は1分12秒となり、99.5%の短縮になります。(M/M/1、λ=1/8、μ=1/4)
さて、先ほどは「専門家がやっている仕事が、全て専門的な仕事とは限らない」ことを紹介しました。
実際に、専門家が本当に自分でしかできない部分のみを担当し、そうでない部分をうまく切り出して、他の人にやってもらえるようになると、どうなるでしょうか?
このようにして、専門性が高い作業が4時間から2時間に削減できた場合を考えてみます。
専門家が依然として1人である場合でも、その作業が着手されるまでにかかる時間は39分36秒となり、83.5%の短縮になります。(M/M/1、λ=1/8、μ=1/2)
そして、このケースにおいて、専門家が2名に増えた場合は1分48秒、99.25%の短縮になります。(M/M/2、λ=1/8、μ=1/2)
…どうでしょう、このあたりにチームが目指すべきゴールが見えて来ませんか?
自分の仕事を見返して、本当に専門的な部分とそうでない部分を見極め、専門性の低い部分を他の人にレクチャーしたり、誰かとペアになって自分と同じことができる様に育てていくことができれば、大抵の場合、チームの効率は劇的に向上します。
スキル・ノウハウの共有は、まずはこのレベルから始めてみては如何でしょうか?
執筆:木代 圭
謝辞
本記事執筆にあたり、平鍋 健児さんの以下のページを参考にしています。
サルでもわかる待ち行列
https://objectclub.jp/technicaldoc/monkey/s_wait
また、記事の内容についても平鍋さんにアドバイスを頂きました。
改めて御礼申し上げます。